中国語・韓国語:三十年間の奮闘記?
 

 最初に、難しいことは一切分からない平凡な初老人の手記としてお読みくださることをお願いいたします。

 五年前、「この部位は危険で手術が出来ない、激痛発生時には坐薬または医療用麻薬で対処してください。」・・・・顔、真っ青!

 そして一昨年の6 月「心臓冠動脈の2本が99%梗塞しており、三ヶ月以内に確実に最悪の事態になる、数日中に開胸手術を行わなければ年内の命の保障はできません。」・・・・頭、真っ白!

 胸椎間板狭窄症と心筋梗塞と言う厄介な病魔に突然取り付かれ、仕事を横目で見ざるを得ない状況で過ごしたここ数年。いま、ようやく現場に復帰する気力が戻りつつあります。・・・・でも気が付いたら今年で還暦。

 私なりに、この業界の中での自分を取り巻く出来事や、厚かましくも将来の会社発展に備えるべく諸々整理しようとしていた矢先にお声をかけていただきました。「中国語・韓国語:三十年の奮闘記」なる文章を書けと。(穴があったら入りたい思いで続けます)

 確かに私は、この二言語だけで三十年、ただ黙々と翻訳のみに携わってきました。しかし言語が何であれ、言い換えれば、仕事そのものが何であれ、私は人との係わりが好きなだけで、実は翻訳とは何たるかも知らずに業界に飛び込んだ次第です。事実、“キムチ製造業” なるものを真剣に考えていた時期もありました。(ついでに“熱帯魚屋” も・・・・)

 不謹慎に聞こえるかも知れませんが、どの業界の仕事も実に単純明快で、“お客様に満足さえしていただければそれでOK”と考えています。OK となれない人物はどの業界でも駄目坊~です!

 曰く、仕事は神聖なものであることに疑う余地はないものの、所詮、生きるための一つの手段にしか過ぎません。それより、どう生きるかが大切だと考えます。

 結果的に、この仕事を継続できたのは、翻訳業界に携わっておられる方々は「人としての質」が良く、失礼ながら一風変わった方が多いように見受けます。私はきっと、その「変わった」と言う一面に惚れ込んでしまったのでしょう。

 従って、常に私は「願わくば、来世も同じ仕事を同じ仲間達としたい。出来れば同じ家庭を持ちつつ・・・・」と語って恥じません。

 せっかくお与え下さった題材である「中国語・韓国語:三十年の奮闘記」など、私には到底書く資格も能力もなく、とにかく私を周囲で支えて下さる方達と何をしていても新鮮で楽しく、そして「一風変わった」人達と触れ合うのが心地良くてたまらなかった。お客様は勿論、翻訳者さん達とも原稿は直接全て会って“目を見ての手渡し”、真冬の雨の中、オートバイでのデリバリー( これは実にキツイ! )、徹夜続きの版下作業や子供の貯金まで使い果たしてのお支払い。更には翻訳者さんの離婚騒動の立会いまで・・・・。土日休日など無く、真夜中まで全力で走り続けてきたことに対し、いま何を思い出しても「過去の真っ赤な血や脂ぎった汗」は「キラキラとした薔薇色や澄んだ雫」に思えてしまいます。

 あえて言う私の奮闘記とは、6 階のお客様でエレベータが無かったことだけ!

 現在、翻訳業界のみならず、全ての業界・企業が苦しい経営を強いられていると自らも強く感じます。しかし、これも数年も経てば、「薔薇色」とまでいかなくとも、きっと笑い話の一つとして、「あの頃は実に厳しかったな~」とジョッキ片手に笑顔で話せるようになることでしょう。つまり、生きていること自体が既に皆の「オリジナル奮闘記」だと思うのです。

 過去、業界ではマイナーであった「中国語・韓国語」も今やメジャー言語となり、少々、商売道の義理を欠いた醜さまでをも感じる競争の真っ只中にあります。正直、アナログ大好きオヤジの私にとっての本当の奮闘記は正にこれからだと覚悟しています。今のメリハリのない退屈な時代から、もう一度ギラギラとした毎日が送れるようになりたいものです。(・・・・本当は早く引退して女房と遊びたい!)

 最後に少々真面目に思うところ、未だ日本はアジア諸国と正対していないように感じます。つまり、“いつでも引ける半身の状態” に構えている。これは過去、企業訪問をしていた時も、現在の翻訳原稿の出方を見ていても強く感じます(具体的に語るには数日要します)。勿論、その日本の姿は相手側もとっくに読み取っています。

 あえて奮闘記と言うのであれば、どの業界にも同様にある“営業” での苦労だと思いますが、来世も・・・・等と思う私は、この業界に居ることを誇りに思い、“デリケートな言語” を扱ってこれたことを感謝と共に業界に恩返ししたい思いです。

 業界あげて“100 円ショップ化” にならないことを祈りつつ・・・・。

前代表取締役 加古 滋