会社沿革・経歴(浪花節)
 

● 来世も同じ仲間と同じ仕事を!
 韓国語と中国語を専門に、板橋区坂下で創業して25年が経ちました。
 私事ですが、当時勤務していた大阪の会社が倒産して全てを失い、乳飲み子を抱えて家族4人で上京。
 アルバイトで生計を立てていた不安定な当時、とある大学の留学生会会長であった超~貧乏青年(現在韓国の大学教授)とバイト先で出会い、今までの私の価値観を100%くつがえす彼の人生観に触れて驚愕!
 ポケットには数十円、裸足にサンダル姿で悠々と人生、ついでに国家・政治を語り、たおやかな時の流れを楽しんでいるかのような彼。その青年と仲間達と始めたのが“翻訳業”です。無我夢中・暗中模索で飛び込んだ業界でした。
 自宅アパートの一室(と言っても3畳)を事務所に約10年、最高のパートナーである家内や仲間達と“徹夜もまた楽しからずや”の毎日でした。
 そして気が付いたら25年。今も当時と全く同じ仕事を淡々と繰り返している訳です。
 創業当時は“マイナーな言語”とされていた韓国語と中国語だけを扱ってこれたのは、“頭”になってくれた仲間達を信頼し、私は“身体”に徹することが出来たからだと感謝しています。
 そんなこんなで、多くの素敵な連中と共に夢を見続けてきた25年ですが、いま改めて思うことは、まだまだ皆と一緒に大いに仕事を楽しみ、そして願わくば、“来世もお供しませんか?”・・の気持ちで一杯です!
 これからも一所懸命、お客様、そして翻訳者仲間と“楽しく愉快に軽快に、そして節度ある素敵な緊張関係”を保ちつつ、長く続けて参りたいと願っています。
 なにやら怪しげな会社沿革・経歴紹介ですが、既に50,000件以上の翻訳~制作物を世に送り出すことが出来ました。

● 翻訳はデリケート且つ厄介な文化交流
 “日本と韓国・中国”  正に“親子・兄弟・従兄弟”のような関係の三国。
 当然ながら源を同じうする似通った文化を有し、歴史的にも深い関わりを持ち合う三国です。従って、微妙な情が通い合う反面、摩擦も極端に表面化するのでしょうか。
 例え機械装置の取扱説明書であっても“強制的に入り込む情報発信元の文化”を如何に心地よく翻すかが真の翻訳力量と考えます。
 正確な翻訳は勿論のことですが、可能な限り仕向地の文化に則した翻訳を心掛け、その文献を読む相手の年齢層や立場等をイメージしながら翻訳するよう心掛けています。
 それでも読み手によっては誤解が多発(クレーム?)する実に厄介な、そしてデリケートな代物と日々悪戦苦闘しています!

● トライアル考(まさに余談)
 翻訳力量の計り方に若干ですが工夫をしました。
 “命を託す”と言っても過言ではないタクシー・列車等への乗車。
 なのに、運転力量を計ってから乗り込む方がいるでしょうか?
 本来、力量とは正に人柄・品格(センス)、そして何よりも上質の経験であると考えます。組織規模の大小や知名度等では決してありません。身近な話題として、不幸な列車事故もその事を証明しています。
 さて、薬の服用法を誤訳したら、・・それは生死に関わる大問題!
 表現に問題ありと思いますが、翻訳も一面では“命をも託された業”と言えます。そこで、絶対とは言えないまでも“トライアル”。
 実は創業当時、翻訳者採用のトライアルは翻訳そのものではなく、イメージだけを与えた“母国語によるラブレターの作文や、ある情景の文章表現”でした。
 ウン?と感じられると思いますが、母国語の表現力・語彙、そして何よりも“美しさ”を重視したかったからです。
 原文の内容を十分理解した上での“練った文章創り”に重きを置きました。
 自社が如何に優れているかの宣伝文句は枚挙に暇がありませんが、願わくば今後とも“裕福さよりも優雅さを求め、かゆい所に手がとどく翻訳屋”であり続け たいと思います。
 ・・そうしたら、“儲かります!”

前代表取締役 加古 滋